9/14(水) 第3回大人塾「生誕200年 枝吉神陽」を開催しました。
弘学館で学んだ門下生から、明治政府で活躍した多くの人材が輩出されました。(江藤新平、大隈重信、副島種臣(実弟)
島義勇(従兄弟)、大木喬任)など
そのため神陽は「佐賀の吉田松陰」とも呼ばれています。
実弟の副島種臣は若い時`他人から何て思われるか?`と気にしていた時期に、枝吉に`そんな考えで学問していればやめてしまえ!`と酷く叱られたことは、生涯を通じて一番恐ろしかったと思い出話をしたそうです。
神陽はコレラに感染した妻しづの看病中に罹患、死去しました。
もし、神陽が長生きしてたら佐賀藩の歴史はどうだったんでしょうね?