2月25日の佐賀新聞に、佐賀空襲時の焼夷弾残骸を、北川副公民館が保管していると掲載されていましたが、今日西南里地区の杠さんが「家にもありますよ!」と、公民館に持って来て下さいました。
昭和20年8月の「佐賀空襲」の際、米軍機から投下された焼夷弾(ナパーム弾)の薬莢(火薬を入れた筒)の一部と聞いているそうです。採取場所は現在の県農業大学校敷地内と思われます。新聞に掲載されていたのは、残骸が帽子みたいな形をしています。杠さんが持参されたのは、下の方がない状態ですが、約10㎏くらいあると思われます。とても重いです。ふたつありますので、上下かな?と推測。20年8月の川副方面は、あちこちが火の海状態だったようです。
家の前の畑に防空壕を作り隠れていたそうです。今でも空から焼夷弾が降ってくる夢を見ると、杠さんは話されていました。今公民館で展示しています。見に来てみませんか?