円福寺跡(資料)
(室町時代~江戸時代)
江戸時代の初め、佐賀藩の初代藩主勝茂公のときに廃寺になったという円福寺の近くから、牛馬の家畜小屋を思わせる、小ぶりの石づくりが発見されています。珍しい形状で、しいて言えば埴輪の家屋に似ています。
円福寺が廃された年代から推して、戦国時代までさかのぼる遺物である可能性があります。この遺物が出た一帯は昔、地元の人たちが「ウーボイ(大堀)」と呼んでいた所で、死んだ家畜類を葬った場所です。農村のきびしい労働の担い手として、牛馬は特に大切に扱われていました。
牛馬によせる村人の深い情愛が、死後の世界の家畜小屋となって遺されたようです。動物に対する日本人の心のありようという点で、昔の漁師さんが、捕獲した鯨一頭ごとに戒名を与えて供養したという、鯨の供養塔に通じるものがあります。