浄土宗・医王山 正定寺
正定寺は、鎌倉時代に創建された、町内では最も古いお寺です。開祖を満恵上人願海と言います。上人は、京都で修行した後、もともと法相宗であったこのお寺を浄土宗に改め、地元で布教活動につとめました。 上人は、晩年には、近隣(東南里)に多聞院を建て、そこで念仏三昧の余生を送ったといわれています。
佐賀藩主勝茂公は、この寺に徳川家康公の位牌を安置し、歴代の藩主がこの寺へ参拝に訪れていたようです。また、勝茂公の末子もこの寺で修行し、超誉上人として住職をつとめていました。
墓地には、戦国時代に、今山の合戦で敵将大友親秀を討ち取った成松刑部信勝とその一族の墓も残っています。
また、この寺には、奈良時代の僧行基の作と伝えられる、川副七仏薬師の一つが安置されています。「頭痛焼き」という行事も有名で、NHKの「新日本紀行」という番組で、全国的に紹介されたこともあります。行基が広めたとされる、灸治療との関連が推測されます。