郷土「鍋島」の偉人「成富兵庫茂安公」は、永禄3年(1560年)、佐賀藩士成富甲斐守信種の第二子として、鍋島村増田(益田)百石の地に生を受けました。
公は戦乱の世の武士としての武勲の他、生涯の後半は熊本城等の築城にもその功績を遺し、また、石井樋をはじめとし千栗土井や芦刈水道など多くの土木治水事業も手掛け、「水利土木」の神様と民衆に崇められました。(鍋島町史他)
これら公の治水事業の偉業を偲び、後世にその功績を語り伝えるため、生誕の地に昭和42年(1967年)2月26日に記念碑が建立されました。
それ以来、長年の雨風等による経年劣化で敷石の剥がれや雑草の繁茂など、現場環境の風化が進んでいたためこの度補修を行い、改めて郷土鍋島の遺跡として整備しました。
今後は、小学校や中学校の郷土学習をはじめ、校区外の皆様にもふるさとの歴史を感じていただけるよう親しみのある記念碑となるよう期待します。なお、記念碑の場所は石井樋から嘉瀬川の左岸堤防を約1km南下、佐賀大学医学部方面への信号交差点を右折し約100m地点の堤防中腹にあり、その揮毫は当時の佐賀県知事「池田直氏」の筆によるものです。