昭和28年6月の「西日本大水害」を教訓として防災・減災に取り組みましょう。

旧東川副村役場前の浸水状況.png旧東川副村役場前の浸水状況


S28年6月災害(越流).jpg河川からの濁流の越流に対しての土嚢つみ状況


昭和28年西日本水害とは、1953年(昭和28年)6月25日から6月29日にかけて九州北部地方(福岡県・佐賀県・熊本県・大分県)を中心とした、梅雨前線を起因とする集中豪雨による水害です。

佐賀県の雨量は、神埼郡三瀬村(現佐賀市)で711.4ミリ、鳥栖市で665.2ミリ、神埼郡神埼町(現神埼市)で633.7ミリ、佐賀市で587.1ミリなどとなりました。

これにより、嘉瀬川・松浦川など脊振山地を水源とする河川が軒並み氾濫したほか、筑後川の洪水が支線に逆流することで堤防決壊などの被害が拡大しました。

逆流した筑後川の洪水は支流の上流から流れ来る洪水と衝突して堤防を越流、6月26日に鳥栖市を流れる大木川の堤防が決壊しました。その後宝満川に逆流した筑後川の濁流が宝満川支流の安良川に逆流、築堤以来300年にわたり流域を水害から守ってきた成富茂安の千栗(ちくり)堤防を決壊させ三養基郡北茂安村(現みやき町)を水没させました。

筑後川の激流は、そのまま南西へと押し寄せ、三養基郡や神埼郡をことごとく飲み込みました。特に被害がひどかったのは神埼郡三田川村(現吉野ヶ里町)で、筑後川支流の田手川と城原川が決壊しましたが、上流から流れ来る大量の土砂が流域の家屋や田畑を一挙に押し流しました。この濁流はさらに神埼郡蓮池町(現佐賀市蓮池町)に流れ込み、筑後川の逆流した洪水と合流して西へ押し寄せ、佐賀郡東川副村(現佐賀市諸富町)に達して海岸堤防でせき止められました。

また、嘉瀬川は、天井川で河床が佐賀平野より高く、かつ複雑な集路だったことから鍋島村(現佐賀市鍋島町)で決壊、濁流は佐賀市内に流入したが同時に東より筑後川本流や田手川・城原川の濁流が押し寄せ、両者が佐賀市近辺で合流することにより浸水被害を倍化させました。最終的には有明海の海岸堤防等を人工的に破壊するなどして濁流を排水することにより浸水は収束しましたが、水が引くまで1ヶ月以上掛かった地域もありました。


半壊に瀕した農家の救出に従事す消防団.png半壊に瀕した農家の救出に従事す消防団

昭和28年6月28日の佐賀新聞で、「6月27日午前9時ごろ佐賀郡東川副村陣の内部落の筑後川堤防百メートルが決壊したため濁流が流れ込み午前10時現在で諸富部落を除き全村床上浸水したと県対策本部に連絡があった。なお同村は千世帯5千4百名である(原文のまま)」と報道されています。

佐賀県は、昔から台風被害が多い県です。近年では異常気象による災害も思わぬところで発生しています。

災害は忘れた頃に起きるものです。自分の地域は大丈夫と思わずに、もしもの時に備え、災害時の状況に応じて、地域住民が正しい判断と早めの避難ができるように、日頃から心構えをしておきましょう。そのために各地区で自主防災組織を設立して日頃から防災・減災について講話や訓練等を通じで災害時に備えましょう。