松梅校区内には葉隠関連の史跡が3か所あります。
1か所めは、葉隠提唱者・石田一鼎先生の石碑と閑居跡です。
道の駅大和「そよかぜ館」の東側道路反対側に石碑が建っており、そこから100メートルほど登ったところに閑居跡があります。石田一鼎先生は、仏教、儒教に詳しく、佐賀藩第一の学者と言われています。鍋島藩主勝茂や二代藩主光茂の相談役として仕えましたが、光茂の怒りに触れ閑居しました。一鼎を慕い、閑居を訪れた一人が葉隠を著した山本常朝でした。
☆ 石田一鼎先生の石碑
☆ 石田一鼎先生の閑居跡説明
☆ 石田一鼎の閑居跡
2か所めは、「華蔵庵」です。
松梅公民館角の三反田交差点西の脇道を登って行くと、湛然和尚が10余年禁足生活をしていた「華蔵庵」跡があります。湛然和尚は、鍋島家の菩提寺である高伝寺の住職でしたが、龍造寺家菩提寺の住職が藩内12か寺の列に加えてもらうよう直訴したことで、光茂の怒りを買って死罪を命じられたことに対し、不憫に思い助命を嘆願しました。しかし、聞き入れられず、出国を決意をしました。三反田付近で藩の捜索隊が追い付き、帰還を要請しましたが、湛然は受け入れず、「華蔵庵」を建て10年近く過ごしました。山本常朝も湛然和尚の影響を受け、葉隠の中にも言行逸話が数多く出てきます。
☆ 湛然和尚の碑
☆ 「華蔵庵」説明
☆ 「華蔵庵」跡
3か所めは、「切腹地蔵」です。
前記のとおり、湛然和尚の帰還要請を申し入れた藩の使者は命を果たすことができず申し開きのために切腹してしまい、この時の使者を祭った石碑が松梅公民館南の名尾川沿いにあります。
☆ 「切腹地蔵」の石碑