≪ ようこそ、巨勢町の史跡、神社仏閣へ≫
巨勢まちづくり協議会では、令和3年度、町内の史跡等のうち、説明文が読めない老朽化した案内パネルについては更新するとともに、これまでパネルが設置されていなかった史跡等には新たなパネルを設置し、これらパネルにはQRコードを載せて、この「つながる巨勢」のページをご覧いただけるようになります。また、今回パネルを更新しない史跡等についても、現地だけでなく「つながる巨勢」の中で掲載文章などをご覧いただくことができます。さらに、現地にパネルがなくても巨勢歴史マップ(令和3年発行)に載っている史跡等について、「つながる巨勢」の中で取り上げています。
≪「竃王院」について~「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文≫
宗派は浄土宗、山号は光冨山、本尊は阿弥陀如来です。開山は応誉上人、開基は竈王童士とされています。元徳4年(1332年)の河上神社の記録によると、当時(鎌倉時代)の巨勢荘の竈王院の寺領の税は免じられていたようです。今の浄土宗になる前は天台宗だったといわれています。天台宗は平安時代にできた仏教宗派であり、この寺の起こりは相当に古いものと思われます。
≪補足説明~「巨勢の歴史散歩」(平成元年発行)より引用≫
元徳4年(1332)4月の河上神社雑掌家邦重陳情写(河上神社写)に「巨勢荘竈王院那禅房知行免田3町」と書かれている、この竈王院は現存し、江戸時代から川副上郷南里の正定寺で光富山竈王院大龍寺と号し浄土宗である。本尊は阿弥陀如来で、開山は応誉上人、開基は竈王童士とされており、口碑によれば、竈王童士は敏達天皇の子で、竈王院は、もと、天台宗で700年前浄土宗になったと言われている。この寺の一隅に美少年の墓といわれるものが残っていたといわれ、衆道にまつわる話が伝えられている。
≪竈王院の動画≫
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≪巨勢町の歴史探訪コース≫
*巨勢町西部の史跡等を回るコースです。
・しっかりコース(距離4.5㎞)
㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒②六地蔵 ⇒③元忠寺跡と山王社跡⇒④二木大明神(循誘校区)⇒⑤構口番所跡(循誘校区) ⇒⑥巨勢神社⇒㉗巨勢公民館
・こじんまりコース(距離2.8㎞)
㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒⑦高尾藤棚跡⇒⑧竈王院⇒⑨高尾お倉跡 ⇒⑩真崎照郷記念碑⇒⑥巨勢神社⇒⑪肥筑軌道高尾駅跡 ⇒⑫小児天満宮⇒㉗巨勢公民館
*巨勢町東部の史跡等を回るコースです。
・たっぷりコース(距離6.0㎞)
㉗巨勢公民館⇒㉑安福寺⇒㉒応永寺跡⇒㉓売茶翁記念碑⇒㉔小田資光の墓⇒㉕八幡宮⇒㉖保食神社⇒⑲地蔵⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑮大神宮⇒⑭戸次塚⇒㉗巨勢公民館
・じっくりコース(距離4.3㎞)
㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑲地蔵⇒⑳修理田神社(熊野権現社)⇒㉗巨勢公民館
・さしあたりコース(距離2.6㎞)
㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒㉗巨勢公民館
≪次の探訪先~コースに沿って≫
*⑨高尾お倉跡(こじんまりコース) →高尾お倉跡のページ
≪参考≫