巨勢の史跡等NO.5~構口番所跡(かまえくちばんしょあと)

巨勢公民館

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≪ ようこそ、巨勢町の史跡、神社仏閣へ≫

 巨勢まちづくり協議会では、令和3年度、町内の史跡等のうち、説明文が読めない老朽化した案内パネルについては更新するとともに、これまでパネルが設置されていなかった史跡等には新たなパネルを設置し、これらパネルにはQRコードを載せて、この「つながる巨勢」のページをご覧いただけるようになります。また、今回パネルを更新しない史跡等についても、現地だけでなく「つながる巨勢」の中で掲載文章などをご覧いただくことができます。さらに、現地にパネルがなくても巨勢歴史マップ(令和3年発行)に載っている史跡等について、「つながる巨勢」の中で取り上げています。


≪「構口番所跡」について「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文

 構口の交差点から東佐賀町(循誘校区)へ橋を渡ったところに構口番所跡があります。藩政時代(江戸時代)、佐賀城下に入る東の入口にあたり、構口の地名も橋を渡って城下に入る要所という意味からきているといわれています。橋を渡った西側に番所があり、役人が常駐し、通行人を監視していました。平成になり、発掘調査が行われ公園化されました。近くに「ながさきへ」「こくらへ」と刻まれた石の道標が立っています。


≪補足説明~「巨勢の歴史散歩」(平成元年発行)より引用

 藩政時代、佐賀の城下にはいる東の入り口で、ここの橋を渡って城下にはいる要所でそれに因んで構口という地名になったという。城下に入るには必ずこの橋を渡らねばならないので、橋を渡った西側に番所があって武士が詰めており、城下に入ってくる通行人を監視していた。ここには「番所跡」の標柱と「ながさきへ」「こくらへ」とかかれた道標が立っている。江戸時代の地図で見ると橋は現在地よりやや南にかかり街道は川にそって南に折れ構口公民館の前をとおり、丸中市場の南を回り寺地氏宅南を通り五叉路に出た。(これを大曲、小曲といった)

 長崎街道は更に牛島宿、高尾宿の旧道、消防車庫前を経て学校前を通っていた。後に明治末構口より神崎へ国道ができ、更に大正の始めに構口より牛島宿へ県道ができて、大曲、小曲の部分は不要となり現在は跡形もわからない。


≪「構口番所跡」の動画

≪「長崎街道案内板」の動画≫


巨勢町内の史跡等マップ≫ ➡ 史跡等データベース トップページ


≪巨勢町の歴史探訪コース≫

*巨勢町西部の史跡等を回るコースです。

・しっかりコース(距離4.5㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒②六地蔵 ⇒③元忠寺跡と山王社跡⇒④二木大明神(循誘校区)⇒⑤構口番所跡(循誘校区) ⇒⑥巨勢神社⇒㉗巨勢公民館

・こじんまりコース(距離2.8㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒⑦高尾藤棚跡⇒⑧竈王院⇒⑨高尾お倉跡 ⇒⑩真崎照郷記念碑⇒⑥巨勢神社⇒⑪肥筑軌道高尾駅跡 ⇒⑫小児天満宮⇒㉗巨勢公民館

*巨勢町東部の史跡等を回るコースです。

・たっぷりコース(距離6.0㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒㉑安福寺⇒㉒応永寺跡⇒㉓売茶翁記念碑㉔小田資光の墓⇒㉕八幡宮⇒㉖保食神社⇒⑲地蔵⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑮大神宮⇒⑭戸次塚⇒㉗巨勢公民館

・じっくりコース(距離4.3㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒⑰機械灌漑記念碑⑱二十三夜尊⇒⑲地蔵⇒⑳修理田神社(熊野権現社)⇒㉗巨勢公民館

・さしあたりコース(距離2.6㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒㉗巨勢公民館


≪次の探訪先~コースに沿って≫

 *⑥巨勢神社(しっかりコース) →巨勢神社のページ

 


≪参考

 PDF→「巨勢町の歴史散歩」~巨勢町の移り変わり.pdf

 PDF→巨勢歴史マップその1.pdf 巨勢歴史マップその2.pdf