巨勢の史跡等NO.1~堂屋敷跡(どうやしきあと)

巨勢公民館

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≪ ようこそ、巨勢町の史跡、神社仏閣へ≫

 巨勢まちづくり協議会では、令和3年度、町内の史跡等のうち、説明文が読めない老朽化した案内パネルについては更新するとともに、これまでパネルが設置されていなかった史跡等には新たなパネルを設置し、これらパネルにはQRコードを載せて、この「つながる巨勢」のページをご覧いただけるようになります。また、今回パネルを更新しない史跡等についても、現地だけでなく「つながる巨勢」の中で掲載文章などをご覧いただくことができます。さらに、現地にパネルがなくても巨勢歴史マップ(令和3年発行)に載っている史跡等について、「つながる巨勢」の中で取り上げています。


≪「堂屋敷跡」について~「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文≫

 高尾交差点付近に堂屋敷と呼ばれるところがあります。藩政時代(江戸時代)、この一帯は四方を堀で囲まれていました。佐賀城下への東の入口にあたる重要な場所であったため、役所が建てられ、武士が常駐し長崎街道を通る人々を監視していました。


≪補足説明~「巨勢の歴史散歩」(平成元年発行)より引用

 農協西のクリークで囲まれた一帯を堂屋敷と呼ばれ佐賀東の要害地であり、まわりを木や藪に囲まれていて、ここに武士が常駐して東方や街道を監視していたと言われている。八幡屋敷は池田二男氏宅南一帯を称し、八幡社のあった所である。天明の郷村地図に八幡社が記載されている。内藤氏宅東には権現社と正覚院が記され、三池金次氏宅北に観音堂が記載されている。口碑にこの堂屋敷付近に城郭があったとも伝えているが、城之元や鬼丸の地名も関係あるかもしれない。


≪「堂屋敷跡」の動画


≪巨勢町内の史跡等マップ≫ ➡ 史跡等データベース トップページ


≪巨勢町の歴史探訪コース≫

*巨勢町西部の史跡等を回るコースです。

・しっかりコース(距離4.5㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒②六地蔵 ⇒③元忠寺跡と山王社跡⇒④二木大明神(循誘校区)⇒⑤構口番所跡(循誘校区) ⇒⑥巨勢神社⇒㉗巨勢公民館

・こじんまりコース(距離2.8㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒⑦高尾藤棚跡⇒⑧竈王院⇒⑨高尾お倉跡 ⇒⑩真崎照郷記念碑⇒⑥巨勢神社⇒⑪肥筑軌道高尾駅跡 ⇒⑫小児天満宮⇒㉗巨勢公民館

*巨勢町東部の史跡等を回るコースです。

・たっぷりコース(距離6.0㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒㉑安福寺⇒㉒応永寺跡⇒㉓売茶翁記念碑㉔小田資光の墓⇒㉕八幡宮⇒㉖保食神社⇒⑲地蔵⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑮大神宮⇒⑭戸次塚⇒㉗巨勢公民館

・じっくりコース(距離4.3㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒⑰機械灌漑記念碑⑱二十三夜尊⇒⑲地蔵⇒⑳修理田神社(熊野権現社)⇒㉗巨勢公民館

・さしあたりコース(距離2.6㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒㉗巨勢公民館


≪次の探訪先~コースに沿って≫

 *②六地蔵(しっかりコース) →六地蔵のページ

 ⑦高尾藤棚跡(こじんまりコース) →高尾藤棚跡のページ

 


≪参考

 PDF→「巨勢町の歴史散歩」~巨勢町の移り変わり.pdf

 PDF→巨勢歴史マップその1.pdf 巨勢歴史マップその2.pdf