≪ ようこそ、巨勢町の史跡、神社仏閣へ≫
巨勢まちづくり協議会では、令和3年度、町内の史跡等のうち、説明文が読めない老朽化した案内パネルについては更新するとともに、これまでパネルが設置されていなかった史跡等には新たなパネルを設置し、これらパネルにはQRコードを載せて、この「つながる巨勢」のページをご覧いただけるようになります。また、今回パネルを更新しない史跡等についても、現地だけでなく「つながる巨勢」の中で掲載文章などをご覧いただくことができます。さらに、現地にパネルがなくても巨勢歴史マップ(令和3年発行)に載っている史跡等について、「つながる巨勢」の中で取り上げています。
≪「安福寺」~「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文≫について≫
宗派は浄土真宗本願寺派、山号は大徳山、本尊は阿弥陀如来です。元々は臨済宗東福寺派の寺院であり、創立年代は徳川家光の代で、開基は大洲恩和尚と言われています。無住の代もあり、荒廃している時、蓮池・真教寺の弟熊谷興譲法師が入寺し、浄土真宗本願寺派に改宗しています。境内には、文化6年(1809年)の地蔵、天明5年(1785年)の薬師如来、明和3年(1766年)の千部塔や八幡社の手水鉢などがあります。涅槃像一幅があると言われていましたが、現在は残っていません。
≪補足説明~「巨勢の歴史散歩」(平成元年発行)より引用≫
西分にあって、乃徳山と号し東福寺派の臨済宗で開山は君山和尚と伝えられている。古くからの寺で、由緒は明らかでなく本尊は阿弥陀如来で現在は浄土真宗である。安福寺の門の前には板碑の地蔵があって、「文化6年8月24日 願主大仙、合財当村若者中」と記されている。その隣に「天明5年10月4日 座主 安福寺 願主 原田氏」ときざまれた「薬師如来」さらに「明和3年 願主 井原忠右衛門 藤原鎮正」ときざまれた「千部塔」がある。「薬師如来」は原田認氏宅東にあったもので、その付近を「薬師どう」と呼ばれ、天明の地図には薬師の地が記載されている。
≪安福寺の動画≫
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≪巨勢町の歴史探訪コース≫
*巨勢町西部の史跡等を回るコースです。
・しっかりコース(距離4.5㎞)
㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒②六地蔵 ⇒③元忠寺跡と山王社跡⇒④二木大明神(循誘校区)⇒⑤構口番所跡(循誘校区) ⇒⑥巨勢神社⇒㉗巨勢公民館
・こじんまりコース(距離2.8㎞)
㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒⑦高尾藤棚跡⇒⑧竈王院⇒⑨高尾お倉跡 ⇒⑩真崎照郷記念碑⇒⑥巨勢神社⇒⑪肥筑軌道高尾駅跡 ⇒⑫小児天満宮⇒㉗巨勢公民館
*巨勢町東部の史跡等を回るコースです。
・たっぷりコース(距離6.0㎞)
㉗巨勢公民館⇒㉑安福寺⇒㉒応永寺跡⇒㉓売茶翁記念碑⇒㉔小田資光の墓⇒㉕八幡宮⇒㉖保食神社⇒⑲地蔵⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑮大神宮⇒⑭戸次塚⇒㉗巨勢公民館
・じっくりコース(距離4.3㎞)
㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑲地蔵⇒⑳修理田神社(熊野権現社)⇒㉗巨勢公民館
・さしあたりコース(距離2.6㎞)
㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒㉗巨勢公民館
≪次の探訪先~コースに沿って≫
*㉒応永寺跡(たっぷりコース) →応永寺跡のページ
≪参考≫