≪ ようこそ、巨勢町の史跡、神社仏閣へ≫
巨勢まちづくり協議会では、令和3年度、町内の史跡等のうち、説明文が読めない老朽化した案内パネルについては更新するとともに、これまでパネルが設置されていなかった史跡等には新たなパネルを設置し、これらパネルにはQRコードを載せて、この「つながる巨勢」のページをご覧いただけるようになります。また、今回パネルを更新しない史跡等についても、現地だけでなく「つながる巨勢」の中で掲載文章などをご覧いただくことができます。さらに、現地にパネルがなくても巨勢歴史マップ(令和3年発行)に載っている史跡等について、「つながる巨勢」の中で取り上げています。
≪「六地蔵」について~「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文≫≫
修理田公民館の一角に六地蔵があります。地蔵は大慈悲(いつくしみ、なさけ)をもって人間の苦しみを救ってくれるものとして信仰されてきました。「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上」の六道の人間を救済するものとされており、室町時代より六道に一体ずつ配した六地蔵信仰が盛んになり、墓地の入口や寺院の門前に見られます。巨勢町では応永寺跡や龍津寺にもあります。この六地蔵は江戸時代の安永年間(1772年~1781年)に、この地域の伊東氏をはじめ有志によって建てられたものです。
≪補足説明~「巨勢の歴史散歩」(平成元年発行)より引用≫
持永春義氏宅前の道路のところに、六地蔵があって安永7年、施主 伊東氏と刻まれ、持永三男氏宅前の道路のところに、薬師如来の石像がある。
中島地区はまわりをクリークで囲まれ、北東の所に天神屋敷と呼ばれるところがあって、「いぼ地蔵」とよばれる石の祠があり、西には「みじょうどう」という墓地があるが詳細は不明である。
≪「六地蔵」の動画≫
≪巨勢町内の史跡等マップ≫ ➡ 史跡等データベース トップページ
≪巨勢町の歴史探訪コース≫
*巨勢町西部の史跡等を回るコースです。
・しっかりコース(距離4.5㎞)
㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒②六地蔵 ⇒③元忠寺跡と山王社跡⇒④二木大明神(循誘校区)⇒⑤構口番所跡(循誘校区) ⇒⑥巨勢神社⇒㉗巨勢公民館
・こじんまりコース(距離2.8㎞)
㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒⑦高尾藤棚跡⇒⑧竈王院⇒⑨高尾お倉跡 ⇒⑩真崎照郷記念碑⇒⑥巨勢神社⇒⑪肥筑軌道高尾駅跡 ⇒⑫小児天満宮⇒㉗巨勢公民館
*巨勢町東部の史跡等を回るコースです。
・たっぷりコース(距離6.0㎞)
㉗巨勢公民館⇒㉑安福寺⇒㉒応永寺跡⇒㉓売茶翁記念碑⇒㉔小田資光の墓⇒㉕八幡宮⇒㉖保食神社⇒⑲地蔵⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑮大神宮⇒⑭戸次塚⇒㉗巨勢公民館
・じっくりコース(距離4.3㎞)
㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑲地蔵⇒⑳修理田神社(熊野権現社)⇒㉗巨勢公民館
・さしあたりコース(距離2.6㎞)
㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒㉗巨勢公民館
≪次の探訪先~コースに沿って≫
*④元忠寺跡と山王社跡(しっかりコース) →元忠寺跡と山王社跡のページ
≪参考≫