巨勢の史跡等NO.23~売茶翁記念碑(ばいさおうきねんひ)

巨勢公民館

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≪ ようこそ、巨勢町の史跡、神社仏閣へ≫

 巨勢まちづくり協議会では、令和3年度、町内の史跡等のうち、説明文が読めない老朽化した案内パネルについては更新するとともに、これまでパネルが設置されていなかった史跡等には新たなパネルを設置し、これらパネルにはQRコードを載せて、この「つながる巨勢」のページをご覧いただけるようになります。また、今回パネルを更新しない史跡等についても、現地だけでなく「つながる巨勢」の中で掲載文章などをご覧いただくことができます。さらに、現地にパネルがなくても巨勢歴史マップ(令和3年発行)に載っている史跡等について、「つながる巨勢」の中で取り上げています。


≪「売茶翁記念碑」について「巨勢歴史マップ」(令和3年発行)の説明文

 幼名は柴山菊泉、後に還俗し高遊外と名乗った龍津寺の僧、月海元昭(1675年~1763年)は57歳の時京都に上り、売茶翁と称し、鴨川支流二の橋に通仙亭を構え、売茶業を始めました。風光明媚な所で煎茶を売りながら禅を説き、世の中の出来事などを語って聞かせたので、たちまち人々の評判となりました。身分を区別せず茶代を払おうと払うまいと気にかけず、煎茶をふるまったといいます。売茶翁には風流を友とする独特の風格があり、池大雅や伊藤若冲、円山応挙、上田秋成、田能村竹田、渡辺崋山、富岡鉄斎など江戸時代の多くの文人たちから敬愛され、お茶売り姿の肖像画が数多く描かれました。中でも、伊藤若冲が描く売茶翁像は有名です。そして、煎茶が庶民の飲物として日本全国に広がるきっかけとなったのです。売茶翁は前茶の祖として、今でも多くの人に敬愛されています。


≪補足説明~「巨勢の歴史散歩」(平成元年発行)より引用

 龍津寺の名僧であった月海禅師は、姓は柴山で売茶翁または高遊外と号し、日本煎茶の祖としてその道から仰がれている。売茶翁は、延宝3年蓮池藩の藩医柴山杢之進の次男として生まれたが、次男で家業を継ぐこともなかった彼は、11才で龍津寺の化霖和尚の門に入った。龍津寺は黄檗宗独湛の弟子化霖の開山で蓮池一の寺であったという。化霖は翁を連れて京の万福寺にいって独湛和尚にあったが、独湛は翁が年少で才幹に富んでいるのをほめたという。のち、胃を患い苦しんだが、それが心眼開幕の動機となって病なおらないうえ、法弟大潮の停めるのもきかず雲水に身を託し修行の旅に出た。とき23才であった。そののち、各地の名僧などに学び南船北馬で席の暖まる暇もなかったという。こうして、のち、国に帰り化霖に仕えること14年であったが、師の死後、惜しげもなく法弟大潮に譲って京都にのぼり、念願であった売茶の道にはいった。とき56才であった。当時、京都には、文人墨客集まり、売茶、売酒の店が諸所に設けられ、全国各地に煎茶式茶道が流行していた時代であったが、翁のは世間一般の売茶とちがい、独特の風格をもっていたと言われる。例えば茶席に「茶代は黄金より半文銭までは、くれしだい。ただのみも勝手。ただよりはまけ申さず。」と書かれていたという。翁の名利に頓着しない性分がこの中に現れている。当時の僧が権門に出入りし、僧の地位や寺の格の昇進のみ願うなか翁だけは功名富貴を度外視して、茶を売って飢えを防げばよいとして、春は花、秋は紅葉を求め、茶道具を担いで客を待つ姿に京の風流の徒、喜んでそこに集まってきた。こうして売茶翁の名は世間に広がっていったという。また次のように語ったという、「われ貧しくて肉を用いず。老いて妻を喜ばず。ただ、野にて茶をうる無上の快となす」と、翁の面目躍如としているといえよう。のち岡崎にて、茶道具を焼いてしまい門を閉じて89才の高齢にて一生を閉じたという。人々は我が国煎茶の祖として尊敬し、宇治の黄檗宗本山万福寺に売茶堂が建てられ、翁の木造を祭ってある。龍津寺にも讃える碑を建てた。


史跡等の動画


巨勢町内の史跡等マップ≫ ➡ 史跡等データベース トップページ


≪巨勢町の歴史探訪コース≫

*巨勢町西部の史跡等を回るコースです。

・しっかりコース(距離4.5㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒②六地蔵 ⇒③元忠寺跡と山王社跡⇒④二木大明神(循誘校区)⇒⑤構口番所跡(循誘校区) ⇒⑥巨勢神社⇒㉗巨勢公民館

・こじんまりコース(距離2.8㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒①堂屋敷跡⇒⑦高尾藤棚跡⇒⑧竈王院⇒⑨高尾お倉跡 ⇒⑩真崎照郷記念碑⇒⑥巨勢神社⇒⑪肥筑軌道高尾駅跡 ⇒⑫小児天満宮⇒㉗巨勢公民館

*巨勢町東部の史跡等を回るコースです。

・たっぷりコース(距離6.0㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒㉑安福寺⇒㉒応永寺跡⇒㉓売茶翁記念碑㉔小田資光の墓⇒㉕八幡宮⇒㉖保食神社⇒⑲地蔵⇒⑰機械灌漑記念碑⇒⑱二十三夜尊⇒⑮大神宮⇒⑭戸次塚⇒㉗巨勢公民館

・じっくりコース(距離4.3㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒⑰機械灌漑記念碑⑱二十三夜尊⇒⑲地蔵⇒⑳修理田神社(熊野権現社)⇒㉗巨勢公民館

・さしあたりコース(距離2.6㎞)

 ㉗巨勢公民館⇒⑬法専寺⇒⑭戸次塚⇒⑮大神宮⇒⑯柳原観音⇒㉗巨勢公民館


≪次の探訪先~コースに沿って≫

 *㉔小田資光の墓(たっぷりコース) 小田資光の墓のページ

 


≪参考

 PDF→「巨勢町の歴史散歩」~巨勢町の移り変わり.pdf

 PDF→巨勢歴史マップその1.pdf 巨勢歴史マップその2.pdf