NHK大河ドラマ「光る君へ」でまひろ(紫式部)の友人として登場した女性〝さわ〟。
「光る君へ」の中で...国司赴任になった父と一緒に肥前に行くことになったことを〝さわ〟がまひろに告げるシーンは今でも忘れられません...。
実はその〝さわ〟...紫式部のいとこであり父の国司赴任のためにこの肥前に来た実在の人物である〝筑紫の君〟がモデルだろうと言われています。
実際は不明のようですが...筑紫の君も国司である父と肥前国庁がある春日北まで来たのでは!と想像して企画したこのウォークイベント!
当時〝筑紫の君〟が訪れたであろう!春日北やその周辺の名所やスポットを巡る「かすが北〝筑紫の君〟ウォーク」を11月30日(土)に開催しました。
その日は佐賀市文化財課の谷澤様にポイントで案内していただきながら巡りました。
ウォークのスタートは...もちろん!〝肥前国庁跡〟から...。
〝肥前国庁〟は奈良時代から平安時代中期までの肥前国の役所で...
京のある中央政府から来た役人たちが政治・軍事・税の徴収・儀式などを行うための場所です。
肥前国庁跡資料館で谷澤様から国庁や周辺遺跡の建物群のことを詳しく説明していただいた後に...てくてくコースをスタート!
資料館からの次は...肥前国庁跡歴史公園にある〝南門〟へ...。
参加者の皆さんのために特別に重い扉を開けてもらって南門をくぐって建物跡に...。
谷澤様から...当時の役人たちがこの国庁でどういう仕事をしていたのか...などの説明がありました。
建っていたであろう礎石を見ながら...筑紫の君も国司の父と一緒に肥前国庁に訪れているよね...と思いました。
次に向かったのは...〝印鑰神社〟へ...。
この印鑰神社は...律令時代に肥前国府の印と鑰を祭ったところ。
「印」は国印を...「鑰」は国府の倉庫のカギを意味していて...国司が国務を行うためのかなり重要なものであったようです。
奈良時代に聖武天皇が国ごとに建立させたお寺で...僧寺を「国分寺」と呼ばれ...尼寺を「国分尼寺」と呼ばれます。
当時飢きんや伝染病が多いため国家が安らかに治まるように...という思いで聖武天皇が建てさせたようです。
谷澤様より肥前国分尼寺跡の案内板の前で説明がありました。
その後...すぐそばの築山公園にある〝築山古墳〟へ...。
ここは築山経塚があり...長方形の粘土板に仏教経典を書き写して素焼きし地中に埋納したようです。
谷澤様から案内板の前で国分寺に関する説明の後...予定外に案内されたのが...なんと!「七重の塔」の跡!
えーーっ!? この大和に七重の塔!?その七重の塔のことを聞いて...とっても驚きました!
そびえ建っていたであろう七重の塔を想像しながら...筑紫の君もその塔を見上げたことがあるのでは...と思いました。
しかし...七重の塔...見てみたかったなぁ...。
道幅13mの大きな官道で大宰府とつながっていたことに肥前国府の重要性を感じました。
どこまでも続いた官道をイメージしながら...筑紫の君もこの道を歩いていたのでは...と思いました。
一旦スタートの肥前国庁跡資料館に戻って...前半のてくてくコースをゴール!
休憩した後...あと2ポイントを目指すもくもくコースの参加者の皆さんと再スタート!
肥前国庁跡を北上しながら目指す最初のスポットは〝惣座地主宮〟
惣座という地名は...「惣社」から変化したと言われており...当時米などの税を納めた倉庫群と想定される〝惣座遺跡〟があります。
欽明25年(西暦564年)創建された與止日女神社は...肥前国一之宮として崇敬される神社です。
立派な與止日女神社を見ながら...きっと筑紫の君もお願いするためにお参りしたのだろう...と思いました。
その後は...もくもくコースのご褒美として...元祖吉野屋さんの白玉饅頭をいただきました。
そして...全員肥前国庁跡資料館に戻って無事ゴール!
参加者の方からは...
「地元に住んでいて知らなかった事を実際に歩いてとても良かったです」
「みんなでおしゃべりしながらたくさん歩いて楽しかったです」
「自分が住む町周辺の歴史を知れて楽しかったです」 などなど...
このウォークイベントにとてもうれしい感想をいただきました。
古い時代から続いている私たちのまちの魅力をとても感じられたようです。
〝肥前の都だからこそ...平安時代のあの君と同じ思いを感じたい...〟
平安時代に京から肥前の国に来て...肥前の都のいろんな場所に訪れたであろう筑紫の君...
この令和という時代に生きてている自分も同じ場所にいることにいにしえを感じました。
平安時代をテーマに巡りながら...〝筑紫の君〟をとても身近に感じたウォークイベントとなりました。