2023年である今年は江戸幕府開府からちょうど420年...。
この春日北校区やその周辺には江戸時代前の戦国時代や江戸時代初期にかかわる史跡や名所があり...
中には〝あの武将がここに!〟と驚くようなスポットもあります。
今年の大河ドラマ「どうする家康」につなんで「どうする春日北」として...
戦国時代・江戸時代初期の春日北や周辺にある史跡や名所をめぐる歴史ウォーキングを
12月9日(土)に春日北まちづくり協議会 自然・文化部会 と春日北公民館の共催で行いました。
まずは南下して...第1ポイントの〝名護屋橋〟へ!
この〝名護屋橋〟を通った戦国大名がいます。
その戦国大名は...なんと!なんと!あの〝豊臣秀吉〟
1592年朝鮮出兵の拠点であった肥前名護屋城へ2度目に向かう時にこのルートを通ったようです。
その日は大雨が降って川上川が氾濫していましたが...
鍋島直茂が急いで舟橋を作ったことで秀吉公とその軍は無事に渡ることができました。
以来この橋を〝名護屋橋〟と言われています。
参加されている皆さん...秀吉公のことを伝えるととてもビックリされていました!
さて...次は北上して官人橋を渡って...第2ポイントの〝與止日女神社〟へ!
この與止日女神社は...〝川上峡合戦〟が行われたところです。
1561年肥前国の戦国大名・龍造寺隆信と肥前三瀬城主・神代勝利が戦って龍造寺軍が勝利しました。
参加者の人たちは熱心に耳を傾けていました。
次に...官人橋を渡ってまた北上すれば第3ポイントの〝宝塔山親正寺〟へ!
ここにも有名な戦国大名が訪れています。
その大名はなんと!〝加藤清正〟
朝鮮出兵のために肥前名護屋城へ向かう途中岩壁にあった「書きかけの御題目」の続きを
清正公が下書きしてその後石工に彫らせたようです。
これも参加している皆さん...清正公が来られていることにかなり驚かれていました。
その場所は...合格祈願で有名な乙文殊宮の上宮・落書き堂に行く途中にあります。
江戸時代初め佐賀藩は佐賀城や多布施川・石井樋などの大規模な土木工事に川上地域で数多く
の石材を調達しました。
7分程登ってとても大変のようでしたが...その後はとても興味をもって良く聞かれていました。
そして歴史のことではないですが...2年前の災害の跡がまた残っていることにも驚かれていました。
その後は大和老人福祉センターまで歩いて無事ゴール!!
「いろいろ新しい情報があった」「大和地区の歴史も知らなく勉強にまりました」
「知らないことばかりで楽しかったです」
という感想をいただきました。
このウォークイベントで初めて知ることが多かったようでとても有意義に過ごされたようです。
これを機に春日北のことをもっと好きになってくださりうれしいです。
参加された皆さま...たいへんお疲れ様でした!