9月7日(土)、公民館大会議室にて第2回目となる蓮池学講座「蓮池町歴史講演会」を開催しました。今回の講座は蓮池まちづくり協議会の主催で行われ、講師として佐賀大学の中尾友香梨教授をお迎えしました。テーマは「蓮池藩の学校と寺子屋」で、来賓を含め、約50名の方々にご参加いただき、盛況となりました。
講演では、蓮池藩における教育の歴史が詳しく語られました。
蓮池藩では、第四代藩主の鍋島直恒が岡白駒(おかはっく)という儒学者を招聘し、早くから教育に力を入れていました。七代藩主の鍋島直温がわずか8歳で藩主となったため、家老たちが中心となって藩の教育を推進しました。彼らは自宅や藩邸(御屋形)を活用して講義を行い、家臣の子弟を教育しました。
1781年に佐賀藩が「弘道館」を創設してから3年後の1784年、蓮池藩は藩校「成章館」を設立しました。成章館では、月に3回、主に家臣の長男たちが出席し、学問を学びました。「成章」という名前は、孔子の言葉から取られています。『論語』の公治長篇には、孔子が「故郷の若者たちは志が高く、美しい文様を織りなしているが、これをどう裁断し、形にするかを知らない。故郷に戻り、彼らを教育し、立派な人材に育てよう」と嘆いたエピソードがあります。この「成章」の言葉は、素晴らしい潜在能力を持ちながらも未熟な人材を磨き上げる場としての意味が込められています。
成章館には学則があり、学芸から武芸に至るまで幅広い教育が行われました。特に儒学がメインで教えられましたが、他の学校にはない国学も取り入れられていた点が特徴的です。創設当初は運営に苦労しましたが、蓮池藩は年々予算を増やし、教育に力を入れ続けました。
しかし、廃藩置県により藩校は廃止され、成章館は芙蓉小学校へと生まれ変わりました。「芙蓉」とは「蓮」の異名であり、蓮池藩の精神を引き継いでいます。学校名は変わりましたが、八代藩主の鍋島直与が掲げた成章館の理念「蘊真(うんしん)」は、今でも芙蓉校の指針として大切にされています。
蓮池藩の教育に対する情熱は、現代にも受け継がれており、今後も地域の歴史と共に学びを深めていきたいと思います。
ご参加いただいた皆様ありがとうございました。