今年の3月に佐賀新聞にも掲載されましたが、江戸期佐賀藩の支藩・蓮池藩の8代藩主鍋島直與(なおとも)が隠居後に造った名園「天賜(てんし)園」の石門が蓮池公園内の木の下に横倒しで置かれたままになっていたことが確認されました。
この貴重な石門を修復して設置していただけるということで、急遽8月20日にプロジェクト委員会を開き、設置場所について協議しました。
今は姿形のない天賜園ですが、当時の石門が残っていることは貴重な文化財であると思っています。修復後は、この石門も活用し、蓮池町の魅力を発信する新たな取り組みを進めていきたいと思います。
歴史と文化が息づくこの地の象徴として、石門が再び輝きを取り戻す日が待ち遠しいです。
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蓮池を学ぶ。伝える。継ぐ。
歴史と伝統文化部会の蓮池コラム vol.1
「天賜園はどれくらいの広さだったの?」
歴史と伝統文化部会の会議に参加する度に皆様から蓮池の魅力を教えていただき、改めていい町だな〜と再発見しておりますが、そんな蓮池町の歴史や豆知識をたくさんの人と共有できたら楽しそう...と思い、このブログを活用してちょっとしたコラムを書いていきたいと思います。
ここで掲載する内容は、歴史を紐解く中で出てきた仮説などもあるかと思います。もし、間違いがあったり、異なる情報をお持ちの場合は、お気軽にご教授いただけますと幸いです。たくさんの方とディスカッションを行い、蓮池の歴史がより良いものになることを願っております。
まず第1回目は、今回のプロジェクト委員会でもテーマになった天賜園(てんしえん)についてです。蓮池の地に天賜園があったことはご存知の方も多いと思いますが、どれくらいの広さだったと思いますか?
蓮池町の土地に詳しい方であればイメージがつくかもしれませんが、現在の蓮池公園から小松神社の手前あたりまでがこの天賜園だったそうです。とても広い面積の中に池泉回遊式庭園として設計され、四季折々の風景を楽しむことができたそう。庭園は、藩主や客人をもてなす場として大切にされましたが、現在は現存しておらず、当時の姿は文献や資料から伝えられています。蓮池町にある浄国寺に「天賜園絵図」が収蔵されていますが、その絵図から想像するに風光明媚な名園だったことは明らかです。
今回発見された石門は、天賜園の入口に建てられていたのではないかと推測されていますが、そんな名園の石門が現存するだけでも嬉しいことですね。