売茶翁(ばいさおう)は、延宝3年(1675年)、肥前蓮池(現 佐賀市蓮池町)に生まれ、龍津寺の開祖である 黄檗僧 化霖道龍(けりんどうりゅう)の元で出家し、僧名を月海元昭(げっかいげんしょう)と名乗りました。黄檗僧として各地で修行を積み、龍津寺の寺務を掌っていましたが、化霖没後、享保9年(1724年)頃に同 寺を出て、やがて京都へ身を移しました。
僧でありながら無自覚に布施を受けることに疑問を持ち、茶店「通仙亭」を開いて、京都の名勝地などで「茶代のあるなしを問わず、のどかに世の中の物語など」(『落栗物語』)の話をしながら、自ら煎茶を売って生計を立てました。その姿が評判を呼び、次第に「売茶翁」の名で広く知られるようになっていきました。寛保2年(1742年、67歳)に還俗した後も、宝暦13年(1763年、89歳)の生涯を終えるまで、煎茶売りを生業とし、画家 伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)や池大雅(いけの・たいが)など様々な文人墨客と交流を持ちました。
市井に身を置きながらも 世俗に染まる事なく、禅僧としての型にとらわれなかった売茶翁の生き方は、同時代や後世の人々に影響を与え、尊敬を集めました。
(佐賀県立美術館テーマ展「売茶翁の生涯―風のように生きる―」より抜粋)
『売茶翁偈語』木村孔陽編、(部分)1928年(昭和3年)花月庵蔵第2版、1冊、NPO法人高遊外売茶翁顕彰会蔵
売茶翁が出家した巨勢町の龍津寺に顕彰碑が建てられています。一度出かけてみませんか。
巨勢町東西龍津寺↓
松原4丁目にある「肥前通仙亭」に売茶翁に関する資料が取り揃えてあります。
「肥前通仙亭」にもぜひ一度足を運んでください。
肥前通仙亭 https://www.city.saga.lg.jp/main/898.html
高遊外売茶翁顕彰会蔵 http://www.kouyugaibaisao.com/
佐賀の歴史文化お宝帳 https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=652&cityId=8